自己紹介

こんにちは、皆様。私の名前は与田太一と申します。
今から、私のこれまでの経験と、なぜ今のマーケティングの世界にいるのか、コンサルティングの世界にいるのか、その背景にある物語をお話ししたいと思います。
目次

2000年、私が社会学からITバブルへと舞い降りた理由

IT業界で働くイメージ図

大学では社会学という面白くて深い世界に没頭していた私ですが、実は卒業後の進路にかなり迷っていました。
研究を続けてアカデミアの世界に残るか、それとも学びを生かして社会の中で活躍するか…。
この二つの選択に悩んでいた時、ちょうど2000年を迎えました。

あの頃、ITバブルが起こっていて、みんなが「IT産業ってすごい!」と話題にしていましたよね。
私もその流れに乗り遅れないように、という気持ち半分、純粋に新しい技術やサービスが生まれる背景に興味を持って、IT産業の動きを追っていました。

そして、私の目に留まったのが、ベンチャーキャピタルという業界。
新しいアイディアや事業に資金を提供し、企業の成長を支える役割をしているんです。
それを知ったとき、社会学を学んだ私にとっては「これだ!」と思いました。
なぜなら、新しい事業やアイディアがどのように社会を変え、人々の生活を豊かにしていくのかを近くで見ることができる場所だからです。

そして、私は新卒としてベンチャー企業への投資の世界に足を踏み入れました。
未来に対する夢を持った起業家たちの情熱的なストーリーや、次世代をリードするであろうビジネスモデルに毎日触れることができるその仕事は、若くして多くの刺激を受ける絶好の環境でした。

投資からストーリーテリングへ:私の心の転換点

マーケティング会社で働くイメージ

しかし、ある日、自分の仕事を見つめ直す機会がありました。それは、投資の業界で「お金」を中心に動いていることに、徐々に違和感を感じるようになったからです。
お金は無論、ビジネスの世界で欠かせない要素です。しかし、私の中で大きく響く何か、人の心に直接触れる何かが欠けているように感じました。

お金は確かにビジネスを動かす大切な要素ですが、それだけでは心の中の満足感や達成感は得られませんでした。
私は何かもっと直接的な価値を生み出す仕事がしたいと考えるようになりました。
そして、その答えが「マーケティング」であると感じました。

マーケティングの世界は、商品やサービスをより多くの人々に届けるためのストーリーテリングやブランディングの要素が詰まっています。
その中で、消費者の心に響くストーリーやメッセージを紡ぐことで、人々の生活を豊かにすることができると信じています。私はそんなマーケティングの魔法に魅了され、この業界に飛び込む決意をしました。

買って、また買って:永遠のお客さんを作るマーケティング

スキンケアのマーケティングを行うイメージ

マーケティングの世界に足を踏み入れてから、私の主な仕事は「化粧品」のマーケティングとなりました。
とくにスキンケア商品のマーケティングを中心に企画を立ててました。

「スキンケアって何?」って思う方もいるかもしれませんね。
簡単に言うと、お肌をきれいに保つための基本的なケア商品のことを指します。
化粧水や乳液、クリームなど、毎日のお手入れに欠かせないアイテムたちです。

ここで面白いのは、お客さんが一度気に入ったスキンケア商品は、ずっと使い続けたいと思ってくれること。
だから、私たちマーケターにとっては、その「使い続けてもらえる魅力」をどう伝えるかが大事なんです。

実は、スキンケア商品の場合、お客さんがリピートして買ってくれることがとても重要なんですよ。
なぜなら、お肌のケアは毎日の習慣として続けるものだから。
だから、お客さんに「この商品はあなたの肌のために最適ですよ」と伝えることが、私たちの大切な役割なんです。

私は、このスキンケア商品のマーケティングを通して、どうやったらお客さんに「これは私の肌のための商品だ!」と感じてもらえるのか、たくさんの知見を得ることができました。
それは、商品の成分や効果だけでなく、お客さんの心の中での感じる安心感や信頼感も大切にすること。
それが、リピート購入への道しるべになるんです。

そのような、スキンケア商品の魅力を伝えるためのノウハウが今のマーケティング・コンサルティングスキルのもととなっています。

Web集客のカギ、私が見つけた方法とは?

デジタルマーケティングを推進するイメージ

一方、当時デジタルマーケティングの人材が不足していたことから、前職での経験を活かしてデジタルマーケティングの企画も行なっていました。特に、Webサイトの集客を中心とした活動に力を入れてきました。

「デジタルマーケティングって何?」と疑問に思われる方もいるかもしれませんね。
簡単に言うと、インターネットを使った宣伝や販売促進の活動のこと。その中でも私が特に得意としてきたのは、Webサイトにたくさんの人を訪れさせる方法、つまり「集客」です。

でも、私がこの業界に足を踏み入れたのは、まさにWebの黎明期。
その頃は、今のようにたくさんの情報やツールがあるわけではなく、ほとんどが未知の領域。そこで、私はたくさんの「試行錯誤」を繰り返しながら、成功の道を探っていきました。

いろんな方法を試してみて、うまくいったもの、そうでないもの、たくさんありました。
でも、その一つ一つが私の独自のノウハウを作り上げる原石となったんです。そして、その結果、今では数々のWebサイトの集客を成功させることができるようになりました。

ふと手にとった1冊が、キッカケに!私の中小企業診断士への道のり

中小企業診断士を取得したイメージ

私、中小企業診断士の資格を持っています。でも、この資格を取得しようと思ったきっかけが、ちょっと変わっているんですよ。

実は、部下たちにマーケティングの指導をするための教材を探していた時のこと。
色んな本やテキストを手に取っていた中、ふと目に留まったのが「中小企業診断士」のテキスト。
普通ならスルーしてしまうようなものかもしれませんが、何となく気になって、中身をぱらぱらとめくってみたんです。

すると、そのテキストの出来が…ものすごく良い!「えっ、こんなにわかりやすく、かつ網羅的な内容の教材があったの?」と驚くほど。

そこには、マーケティングの基本が網羅的に、とても丁寧にまとめられていました。
そして、私の心の中で小さな声が聞こえてきました。「基本的な経営の勉強がしてみたい」と。

そう、ただの興味から始まったその一歩が、結果的に中小企業診断士の資格を取得する道へと繋がったんです。

そこから勉強を始めて、2007年に試験に合格し、2008年に中小企業診断士の登録を行いました。
中小企業診断士の勉強で培った内容は、その後の業務にも大きな影響を与えました。

一つのプロジェクトが私の未来を変えた!中国との出会い

中国ビジネスとの出会い

そんな中、私のキャリアの中で、一つの大きな転機がありました。
それは、2004年から始まった海外、特に中国との仕事です。

皆さん、2000年代の中盤って覚えていますか?
あの頃、日本国内だけでなく、中国の経済や市場が急速に成長していたんですよ。
それを間近で感じる中、私の仕事の舞台も、少しずつ広がっていきました。

最初は、日本と中国の間での小さなプロジェクトから始まりました。
でも、時が経つにつれ、私の仕事の中心は、どんどんと中国にシフトしていったんです。
そして、気づけば、私のマーケティングの仕事の半分以上が、中国でのプロジェクトとなっていました。

中国のマーケットは本当に魅力的。
多様な文化や消費者のニーズ、そしてその急速な成長。
毎日が新しい発見で、仕事のやりがいを感じる日々でした。
そして、その経験が私に一つの大きな気づきをもたらしてくれました。

それは、私の中で「もっと、この成長著しい海外のマーケットで、もっと大きな仕事をしてみたい!」という熱い思いが芽生えたこと。
そう感じるようになった私は、その思いを胸に、転職を決意しました。

日本帰国後も、異国のマーケティング熱は冷めず

独立して中国へ赴くイメージ

転職を決意した私は、新たな道へと踏み出しました。
その結果、中国に派遣され、中国の現地子会社に所属することとなり、そこで本格的に海外マーケティングの深い部分に触れる機会を得ました。
中国の地での仕事は、毎日が新鮮で、何をするにも刺激的。
そんな中、私は海外でのマーケティングノウハウをどんどん貯めていきました。

しばらくして日本に戻ることになった私ですが、得た経験を生かして、再び中国はもちろん、タイなどの国々でのマーケティングの仕事に従事することとなりました。
異国の文化や市場を理解し、それをもとにした提案や戦略立案は、本当にやりがいがありました。

しかし、人生には上り坂もあれば、ちょっとしたディップも。
私が所属していた広告代理店は、素晴らしい会社ではあったのですが、私の役割としてのマーケティング企画の提案の幅が、どうしても狭く感じることが増えてきました。
こうした経験や知識を持っているのに、もっと色々なことをしたい、もっと大きな舞台で活躍したい!と、少しずつ仕事に対する限界を感じ始めたんです。

そんな時、ふと心に浮かんだのが「独立」の二文字。
そして、2010年春。
私は大きな決断をしました。
それは、中国の首都、北京で独立すること。
多くの人には驚かれましたが、私の中ではこれが正解だと感じていました。

中国・アジアでのビジネス:挑戦と冒険の連続

中国ビジネスに挑戦しているイメージ

中国でのビジネス、言ってみればそれはまるでジェットコースター。
上がったり下がったり、時には翻弄されたり。特に、政府の規制の変化。
一日で世界が変わることもしばしば。
でも、その変わりゆく環境の中で、新しい発見や学びがたくさんあって、毎日が本当に刺激的でした。

実は、中国での仕事を始めた頃、私は特にPRやSNSの仕事に対する経験があまりなかったんです。
でも、中国の現場はそれらの手法が非常に重要。
なので、初めての挑戦となるPRやSNSの業界にどっぷりと足を踏み入れました。

最初は、正直、手探り状態。
でも、現地のパートナーや同僚たちとの協力、彼らの温かいサポートとともに、少しずつ道を切り開いていくことができました。
SNSキャンペーンの成功や、メディアでの取り上げを経験することで、その魅力と可能性にどんどん引き込まれていったんです。

「翻弄される」って、一見ネガティブな響きがするかもしれませんが、私にとってはそれが大きな成長のキッカケになったんです。

要するに、中国でのビジネスは、私にとって大きな挑戦の場であり、同時に楽しい冒険の場でもあったんです。

アジアの経験、日本での挑戦

日本と海外でビジネスに邁進

一方、コロナをきっかけに、わたしの動きがちょっと変わってきているんですよ。
そのきっかけは…そう、コロナ以前の話から始まります。

コロナ前、私の日常はまるで「アジアの冒険家」のよう。
日本はもちろん、中国やアジア各地を飛び回りながら、ビジネスの現場であれこれとチャレンジしていました。
新しい土地での発見や現地のビジネスマンとの熱い交流、それはそれはわくわくする毎日だったんです。

しかし、コロナがやってきて、世界は大きく変わりましたよね。
特に中国では経済の下降、政府の規制のさらなる強化、そして社会の変化。
これらの影響を受け、慎重に今後の方針を考え、最終的に拠点を北京から日本に戻すことを決断しました。

とはいえ、アジアでの経験が無駄になったわけではありません。
引き続き中国を中心としたアジアの仕事を行うとともに、日本に戻ってからは、その経験を活かしてコンサルティングの仕事を増やし、多くの企業さんと一緒に新しい未来を築いています。

驚かれるかもしれませんが、私の信条は「変化を楽しむ」こと。
コロナも含め、さまざまな変動をチャンスととらえ、ビジネスの新しい形を模索してきました。
そして、これからも日本、そしてアジアで、皆さんと一緒に、新たな冒険に挑戦していきたいと思っています!

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